恋人たちのバレンタイン




「・・・よしっと。・・・うん、できた!どうよ、唯?」
「へぇ〜、うまいもんじゃない美里。愛の力は偉大ね」
「〜〜〜もう!!」





美里は頬を赤く染めながらキッチンから出て、ラッピング材料を取りに部屋へ向かった。



今日はバレンタイン当日。
それは女の子がチョコを渡して愛を告白するイベントだ。




しかし美里は料理が大の苦手。
もちろんお菓子作りで成功したことなどなかった。


和希と付き合い出して初めてのバレンタイン。
いくらお菓子作りの苦手な美里でも無視するわけにはいかないイベントだ。



ラッピング材料を手にキッチンに戻ると唯が失敗作のチョコケーキをつついていた。
それは昨日の夜、美里がバレンタインに向けて何とか形にしようと作っていたチョコケーキで、結局朝まで格闘したモノの成れの果てだ。

最早ケーキというより黒いコゲの塊にしか見えないソレを唯は物珍しそうに眺めていた。




「唯が来てくれて助かったよ〜!下手したら渡せないとこだったし」
「どういたしまして。お菓子なんて手順どおりに分量をきっちり量れば簡単よ」
「そうは言うけどさ〜・・・」
「美里にだってしっかり作れたじゃない」

朝方、美里は失敗したチョコケーキに囲まれて半泣きの状態で唯に連絡したのだった。
何事かと飛び起きた唯はすぐさま美里の家に駆けつけていた。
そして唯の指導の下、可愛らしいハート型のチョコケーキが見事に完成したのだ。

甘いものが苦手ではないという和希だったが、さすがにチョコケーキという大きさのため、甘さは少し控えめにしてあった。
そのあたりの配慮はお菓子作りに慣れている唯のなせる業だ。


「和希さん喜んでくれるかなぁ〜」

ラッピングを施しながら美里はにこやかに話しかけた。

「そりゃ喜ぶでしょ?かわいい彼女が自分のために悪戦苦闘しながらチョコケーキを作ったんだから」
「もう!一言余計なのっ」
「馬鹿ね。料理が下手な子が立派に作り上げるからこそ男は感動するんじゃないの!上手い子が作ったって感動は薄いのよ」
「そうかなぁ・・・。でもやっぱりこの失敗作は和希さんには見せられないよ」

キッチンの散乱はいかに美里が苦労したかを物語っている。


「確かに、ここまですごいのは見たことないけどね・・・」




「ねぇ・・・唯は?」
「え?」
「唯はチョコあげないの?」

「・・あげないのって・・・誰にあげればいいのよ?」

この答えは美里にとっては驚きだった。
唯からチョコを欲しいと思っている男子はサークル内にもたくさんいた。
唯もサークルにマメに顔を出しているので義理チョコだとしても、チョコの用意はしていると思ったのだ。


「サークルの男子とか?唯のチョコ欲しがってる人多かったよぉ」
「あたしはいいの!何が楽しくて義理チョコなんて配んなきゃいけないのよ!そんなことより、あんた時間平気なの!?」
「えっ・・・・きゃぁ〜〜〜っ!!10時過ぎてる!?11時に迎えに来てくれるのに!」



美里たちの大学はちょうど今日から春休みに入る。
そのため美里は和希と11時に約束をしていたのだ。





「早く用意しなさいよ。じゃぁあたしは帰るから」
「えっ・・。あ、うん、今日はホントにありがとね!」


美里の言葉に「がんばんなさいよ!」と返し、唯は帰っていった。


唯を見送った後、美里はすさまじい早さで用意を始めた。

シャワーを浴び終えると、キッチンで愕然としている母親に「ごめん!時間ないから後片付けお願いっ!!」と頼み込み部屋に駆け上がっていった。





何とか用意を整えると時計の針は11時を少し過ぎていた。
窓から外を見ると見慣れた車が10メートルほど先に停まっていた。






「和希さん、遅れてごめんねっ!」


助手席のドアを開けて美里が声をかけた。
運転席にはニヤニヤと笑っている和希がいた。


「・・・なんで笑ってるの?」
「お前、寝坊しただろ?服、裏表逆だぜ」
「えぇぇっ!!?」


見ると、確かに裏表逆だった。
美里は恥ずかしさで慌てながら家に戻ると脱衣所に駆け込み、急いで服を着なおした。





「・・・おまたせしました」


車に戻ってドアを開けながら和希に言った。
和希は笑いながら「どうぞ」と美里を助手席に促した。






「にしても気づかないなんてショックだな〜・・・」


車が走り出しても美里は未だ服を裏表逆に着ていたショックを引きずっていた。

「そんなに落ち込むなって。俺としては俺のためにそれだけ急いでくれたってことが嬉しいけどね」
極上の笑みを美里に向けながら、そんな甘いことを言われてしまったら美里はもう何も言えなくなってしまった。



「そ、そいうえば今日はどこに?」

気恥ずかしさを隠しながら美里は会話をつなげようと言葉を発した。


「ん?そうだな・・・今日は春休みの始まりを祝して美味しいものでも食べに行こうか?」
「春休みを祝すって何か変じゃない?・・・まぁ、いっか。何食べよっかな〜」

「イタリアンだけどいい?」
「全然おっけい!」


もうすでに美里の頭の中にはイタリアンのことしかなかった。









日も暮れ始めて、楽しい時間もだんだんと終わりに近づいていた。

一般的な大学生ならまだまだ一緒にいられる時間は長いが、美里は自宅通いのうえ、親の考え方により、そう簡単に外泊できる状況ではなかった。
そのため、和希はいつも美里を家に送っていっていた。




だが、今日はこのまま帰るわけにはいかない。


なぜなら美里はまだ肝心のチョコケーキを和希に渡せていなかったからだ。
和希は今日がバレンタインということを忘れているのか、一切その話題は出なかった。

会って一番に渡してしまえばよかったのだが、雰囲気を重視し、「あとで」と踏みとどまった美里には、結局チョコケーキを渡すタイミングがつかめず、デートの帰り道となってしまった。





「さぁ着いたぞ。」

どうしよう、と考えをめぐらせている間に、車は美里の家に着いてしまったようだ。
まだチョコケーキを渡せていない美里は車から降りるに降りれなかった。
その様子を変に思った和希は美里の顔を覗き込む。


「どうした?美里の家着いたけど・・・」
「う、うん。そうなんだけど、えっと・・・ね」



バレンタインにチョコを渡すということがこんなに緊張するものだということを美里は改めて感じていた。


今までにチョコを渡した経験などほとんどない美里はいつになく緊張していた。
相手は彼氏なのだから、と思うのだけど、チョコを渡すというのは「好き」という気持ちを改めて相手に伝えるということでいつまでたっても慣れないことだった。


そもそも美里は普段から軽々しく「好き」という言葉を言わない。
軽々しく使うと、その言葉の持つ意味までもが軽くなっていきそうでいやなのだ。
だから美里が「好き」という言葉を伝えるときはとてつもない勇気が必要になる。



「あの・・・あのね、えっと・・・つまり・・・」
「?なに?・・・言いにくいことなの・・・?」
「う、うん・・・実はね・・・」


「・・・聞きたくない」



意を決して言おうとした言葉を突然和希に遮られ美里は思わず言葉に詰まってしまった。

戸惑っている美里を和希が強引に抱きしめた。
「俺、美里が好きだ。だから、たとえ美里が俺と別れたいって言っても俺には無理だ。俺にはお前が必要なんだよ!だから・・・」


「ちょ、ちょっと待って!?」



突然抱きしめられて、わけのわからない話を始められ美里はパニックになった。
心臓が爆発しそうだった。
早鐘のような自分の鼓動が今にも和希に伝わってしまいそうで余計に美里を焦らせた。

合わせた胸からトクトク、と自分のものではない音が聞こえてくる。
和希の心音も早い。
それを聞いていると少し安心してくる。


和希の腕に包まれた体は心地よい体温を感じて次第に落ち着いていく。
やっぱり自分はこの人が好きなんだと改めて感じた。



和希のほうも自分の腕の中で大人しくしている美里に安心していた。
しかし今から始まるであろう別れ話をどう切り抜こうかと、その頭の中は必死だった。




「何の話?」
落ち着きを取り戻した美里は和希に包まれたまま、和希に問いかけた。

必死で別れ話の回避方法を思案していた和希は、美里の素っ頓狂な言葉に思わず美里を離して、その真意を探ろうと美里の顔をじっと見つめた。
「別れ話、じゃないの?」

不安なまま美里の表情を見つめながら、そう告げた。



「何で!?和希さん、あたしと別れたいの?」
「まさか!美里が、じゃないの・・・?」
「何であたしが・・・」


2人しての勘違いは解けたようで、張り詰めていた空気が少し和んだ。


「じゃ、言いにくいことってなんだよ?」


別れ話ではない、ということを知った和希は心底ホッとしながら美里の言葉を待った。

すると美里はおずおずと手にしていた紙袋を差し出した。
受け取って中を確認すると、そこには可愛らしいチョコケーキが入っていた。



「ハッピーバレンタイン」




「これ・・・」
「うん、和希さんに・・。渡すタイミングがなかなかつかめなくって。でも、あたしも和希さんが大好きだから、ね・・・?」



「・・なんだよ。焦った。お前お菓子作り苦手なの知ってたから催促しなかったのに」
「!?何で知ってるの?あたしが料理全般駄目なこと!?」
「前にお前を待ってたとき、お母さんに言われたんだよ。料理も何もできない娘ですがよろしくね、って」


お・・・お母さん!!余計なことを〜〜っ!!!


「そ、そうなんだ・・・。ま、まぁ確かに料理はできないけど、練習すればきっと・・・!」
「ん・・美味いよ、これ」


気づけば和希はチョコケーキをつまんで食べていた。


「でしょ?まぁちょっと手伝ってもらったけど・・・」
「俺のために、ありがとう。美里・・・」


和希は愛おしそうに美里を見つめながらその手を伸ばして美里の頬に添えた。
どちらからともなく唇を合わせると車内には甘い匂いが立ち込めた。



「好き」という言葉を簡単に口にできない美里はその想いを態度で表現しようとする。
和希を大切に思う気持ちを惜しみなく表現する。
それは恋人としての特権であると美里は考えている。


自分にしかできない方法でありったけの想いを和希に伝える、それが美里の愛し方だ。



そんな美里の様子は和希にもだんだんとわかっていた。
ただ、あまりにも言葉にしてくれない美里にたまに不安になることはあるけれど、こんな風に想われている自分が幸せものだとも思えていた。




十分に唇を楽しむと、和希は美里から少し離れた。
美里も和希のキスに酔っていた。


「これ以上すると、帰せなくなるからな・・・」

別れを予感させる言葉。
もっと一緒にいたいのに――――――
そんな美里の気持ちなどお見通しかのように和希は言った。

「せっかく気持ちよさそうだったのに悪いね」
「―――――!!?」

はっきりと言葉にされて美里は恥ずかしさが膨れ上がった。

「〜〜〜ばかぁっ!帰るっ!!」
「あはは!おぉ、じゃあまたな〜」

バンっとドアを閉めて美里は玄関へと入っていった。
その一連の動作を和希は名残惜しそうに眺めていた。



「――――人の気も知らないで・・・はぁ・・」



大切な美里だからこそ不幸にはしたくない。
彼女が家族と気まずくなるようなこともしたくない。
彼女に無理をさせたくない―――――――


それが和希なりの愛だった。



ふとチョコケーキに視線を戻すと箱の下にカードが挟まっていた。
取り出したカードには可愛らしい文字でこう書かれていた。


“大好き。ずーっと一緒にいてね。”


シンプルだが、いかにも美里らしい内容だ。
短い言葉の中にも美里の和希への愛情が確かに感じられた。


カードの言葉に返すように和希は呟いた。


「こちらこそ、これからもよろしくな」